津波の真実

津波の恐ろしさは、今回の地震でよく分かったと思います。

ですからここであらためて書く必要はないのかも知れませんが、恐ろしさはわかっても、その本当の仕組みを知らなければ、本当の恐ろしさもわからないのかも知れません。

現に、スマトラ沖地震のときの津波の映像で、その恐ろしさは、多くの日本人が目にしたはずです。

でも今回の津波の映像を見て、津波がこんなに恐ろしいものだとは思わなかったと言う人が数多くいます。

また、津波に飲み込まれた人の中には、「親父、逃げるぞ!」と言っても、動かなかった人も居たそうで、津波の恐ろしさを知っていたはずの三陸の人たちでさえ、本当の所はわかっていなかったということになります。

じっさい、過去に津波を経験した人の中には「甘かった」といった年寄りもいました。

経験はしたでしょうけど、本当の津波の仕組みを知らなかったから、つい甘く見てしまったということでしょう。

津波は、波という字がありますので、単に大きい波だと感じている人が多いと思いますが、その実態は、波というよりも高潮といった方がいいのかも知れません。

では津波は波ではないのかというと、波の一種なのです。

ただ発生の仕組みが違うので、その波の性質も、まるで別物のように違っています。

波は風によって起きます。

ですからその波は表面だけの事です。

津波は海底の動きによって起きますので、その波は表面だけではなく、深いところにも影響があります。

津波の映像で、黒い海水が押し寄せたのも、海底ごと押し寄せたようなものだから、海底の堆積物が混じっていたからです。

津波と波とでは、もう一つ大きな違いがあって、じつはこの違いこそ、大きな被害をもたらすものなのです。

波の波長はそれほど長くはありません。

大きな波が押し寄せたとしても、波の先頭と尻尾の長さは、せいぜい十mくらいです。

でも津波は違います。

小さな津波でも、波の先頭と尻尾の間の長さは数百m、時には数キロの長さになることもあります。

この違いが、津波の本当の恐ろしさを二つも隠しているのです。

一つ目は波頭です。

普通の波であれば、波頭の高さが、その波の最高の高さを示しています。

でも津波は、波長が長いので、津波の最高の高さは先頭の波頭ではなく、その後ろに控えています。

ですから波頭だけを見て、「ああ、この程度の津波か」位に思っていると、その数分後には、その数倍もの高さに海面が盛り上がっていることがあって、そこで本当の恐怖を味わうのです。

テレビでも見たと思いますが、津波が押し寄せたときには、防波堤よりも低く、何とか被害は押さえられそうだと思っている内に、海面は次第に盛り上がり、高さ十一mの、日本一の防波堤を超えて、舟ごとなだれ込んできました。

電気に詳しい人は、オシログラフなどで波形を見て、大抵の波形は、波長の中間あたりが一番大きいことは知っていると思います。

津波は波長が数百m以上、時には数キロに及びます。

波頭は、波の先頭部分で出来ますから、波頭の大きさだけを見て、津波の大きさを計ることは出来ないということはわかるでしょう。

津波の波長は、津波に襲われるまではわかりません。

わからないのなら、最大値を考えておけばいいでしょう。

それが命を守る一番いい方法です。

波長が数キロなら、津波の最高値は、波頭の数倍。

そう思っていれば、少なくとも命だけは守ることが出来るでしょう。

今回襲った津波の最高値は30mもあったそうです。

もちろんリアス式海岸ですから、その増幅作用によってこのような高さになったとは思いますが、波頭はもっと低かったはずです。

もう一つの恐ろしさは、その波長の長さです。

普通の波なら、数秒で引いてしまいます。

でも津波の波長は長いのです。

押し寄せるだけでも数分以上、時には一時間を超えることもあるでしょう。

海面が盛り上がって、まるで高潮のように見えたのは、この時間の長さなのです。

わかりやすく言うなら、数分以上、時には一時間にも渡って海面が高くなってしまうのが津波です。

しかも波長の中間点がやって来るまで、海面は高くなり続けるのです。

たとえて言うなら、川の水面が堤防よりも高くなっている時間が長いのです。

たとえ数分間でも、川の水面が堤防よりも一mも高くなれば、その付近は大洪水になることでしょう。

それが高さにして数m、時間にして一時間も続くと考えれば、そこは壊滅的な被害が出るということわかると思います。

それが津波の本当の恐ろしさなのです。

ですから、津波が来るかもしれないと思ったら、すぐに逃げることです。

津波とわかっている波頭を見たら、その十倍もの高さが、本当の津波の高さだと考えれば間違いはありません。

たとえチキンといわれようと、命があれば何でも出来ます。

勇敢さを示しても、それがその人の最後の姿だとしたら、これほど哀しいことはありません。

ライオンでさえも、大人の像が迫ってくれば逃げます。

その臆病さがあったからこそ、ライオンは生き延びて、百獣の王になれたのです。

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